作品『私もそろそろ帰らなきゃ。』


先日、山田ズーニーさんの授業「ライティング技法ワークショップ」で
短い文章を最終成果物として提出した。

出されていたお題は今のあなたに書けるもの、今のあなたにしか書けないもの”
正直何を書こうか迷ったけど、
最後の最後に生まれたのは、
本当のようで、嘘かもしれない物語だった。

全部本当でもなければ、全部嘘でもないけれど…
もしよろしければご覧下さい。

----------------------------------------------------------

「私もそろそろ帰らなきゃ。」



午後 8 時の渋谷。
人通りが多く、車の通りも激しい。 
疲れた顔をした人たちが慌ただしく歩道橋を渡っていく。 
どうして彼らはあんなにも急いでいるのだろう。 
私には理解できるようで理解できない。
 決して心地よいとは言えない靴音の重奏は 
急ブレーキを踏んだタクシーの音に一瞬でかき消された。

心臓よりも早いテンポで景色が流れていく。
私はそれに少しだけ気持ち悪さを感じた。 
千差万別な人間も、
何十人、何百人と集まると 
あっという間に境界線が曖昧になってしまう。
 私は自分がそこに同化するのがひどく恐くて、
 5 分でつく渋谷駅ではなく、
15 分かかる代官山駅までの道を歩くことにした。



あたりは暗く、気温は低い。
首に巻いたマフラーが
時々風に吹かれて私の肩から滑り落ちた。
何度も何度も、
私は飽きる事なくマフラーを定位置へ返していく。
ああ、なんて寒いんだろう。
閑散とした暗い道で、犬を連れた男性とすれ違った。
飼い主だけではなく
犬もしっかりと暖かな衣服を着込んでいる。

今もしここで犯罪が起きたら、
私はこの犬より早く走れるだろうか、なんて。
下らない妄想が空っぽの頭をよぎった。
背の高い街頭がぽつぽつと黒い地面に光を落としている。


やがて私は明るい建物の前に辿り着いた。 
代官山蔦屋と呼ばれる場所だ。
モダンでオシャレな建物の中、
オレンジ色の光に包まれて本を読む人たちの姿が見える。 
私は一番近くの自動ドアに向かって一直線に歩いた。 
店内に踏み込むと、なんとも穏やかな温風が流れ込んでくる。
マフラーから少しはみ出した私の少し茶色い髪がふわっと音もなくなびいた。

代官山蔦屋の中には
私のお気に入りのコーヒー店が入っている。
関東に住む人ならば誰でも知っている緑のロゴの有名店。
「抹茶ラテショート、オールミルクで」
私はいつも通り、店員さんに向かって呪文を唱えた。
半年ぐらい前に大好きな友人から教えてもらったもの。
意味は分からないけど、
この呪文がとてもおいしいことは知っている。
店員さんはニコっと笑い、手際よくレジを打ち始めた。
私も焦らずゆっくりとお財布から相応の金額を選び出す。
どちらかと言えば高い買い物だけど、
至福の時間には変えられない。
やがて差し出された小さなコップを両手でそっと包み、
私はもう一度寒い寒い外の世界へと踏み出した。
辺はさっきよりも暗くなっている。



私はほとんど人がいない外のベンチにそっと腰をおろした。
空は情けない程に狭く、星もろくに見えない。
つい先週見た宮城の星空を思い出そうとしたが、
直前で思考を停止した。
ないものを想像したって空しくなるだけ。
だったら寒い風を噛み締めていた方がずっと幸せだ。


私はコップの飲み口からあがる白い湯気を少し眺めた後、
そっと液体を口に含んだ。
染み渡るような温度と甘ったるい風味と共に
済んだ冬の匂いがすーっと体に流れ込んでくる。
それと同時に、
私の目から小さなスプーンをちょうど満たすくらいの
液体がこぼれ落ちた。


何が悲しいわけでも辛いわけでもない。 

ただ、心が涙を流すことを望んでいるだけだった。 
時々、こういう夜がやってくる。 
いっそ「センチメンタルで文学少女っぽいかしら?」なんて、 
高飛車なことばを吐けてしまえたらいいのに。 
下手な皮肉も言えない臆病者で寂しがり屋な私は 
人前で涙を流すことも出来ず、 
かといって自分の声に耳を傾けてベッドの中で泣くことも出来ず、
こうして 1 か月に 1 度、

カフェインを味わいながら 
あたかも生理現象のように涙を流すのだ。 

嗚咽することも、
大泣きすることも、
泣きじゃくることもない。
ただ静かに、当たり前のように
2~3度液体が目蓋を乗り越えるのを待つのだ。



手の中で、小さなコップが少しずつ熱を失っていく。
もうあと一口で至福の時間もおしまい。
隣の席に置いたバッグが
いつのまにか重力に負けて倒れていた。

私は左手の甲で涙の跡をかき消し、
その勢いのまま少しぬるくなった液体をのどに流し込む。
抹茶の味がやけに苦く感じた。
優しい呪文の唯一の反抗は
こうやっていつも最後にやってくるのだ。


こからか子どもの笑い声が聞こえてくる。
視界の端でお母さんらしき女性と手を繋いでいた。
きっとこれから二人仲良く駅へ向かうのだろう。


さてと、私もそろそろ帰らなきゃ。
次にここに来るのはきっと年明け。


私は重くなったカバンを肩にかけ、
親子の後を辿るように心臓と同じ速度で歩き始めた。



----------------------------------------------------------


実は、この授業には舞台上発表の機会もあった。
1人に与えられた時間は4分。
文章をそのまま朗読する人もいれば、ギターを奏でる人もいたりして
それぞれが独自の方法で文章を表現していた。

ちなみに私は、というと、
迷った末文章の朗読は行わなかった。
その代わり、文章の中で涙を流している時に想っていることを話してみた。
坂本龍一さんの「Aqua」に合わせて、ゆっくり、ゆっくりと。

何を語ったかはここには書かないけど、
表現しきれたんじゃないかな、とは思ってる。
おかげでようやく心の中を解凍できた。


最後に。
聞いてくださった皆様、
そして私に感想をくださった15名の皆様に心から感謝したい。
ただの自己満足だったんじゃないかって思ってたから、
「心に響いた」「泣いた」ということばを見た時本当に安心した。

そしてその中の1人、
前に授業が一緒だった後輩からのコメントが特に心に突き刺さってる。
「もうそろそろご自分を許されてもいいのではないでしょうか?」だって。
いったいどこからそんな風に思ったんだろ。

でも、読んだ瞬間涙が溢れてきた。
理由は全然分からない。
本当に、分からなくて、困ってる。



0 件のコメント:

コメントを投稿