作品『それは一種の衝動に似ているかもしれない』



『それは一種の衝動に似ているかもしれない』


その欲求は唐突にやってきた。
「文章が書きたくて仕方ない」

つい10秒前までベッドの上でゴロゴロしていたはずなのに、
気づけば私は11インチのMacを開いてカタカタとキーボードを打ち始めていた。

まるでバケツから溢れ出る水のように感情が滾っている。
きっと連日降り注いだ思考や感情が
自分の中でいっぱいになって限界を迎えているのだろう。
今すぐ汲み出さなければ溺れてしまう。

それは一種の衝動に似ているかもしれない。
きっと多くの人が感じる「怒り」や「歓喜」と似通ったもの。
汲み出し方が怒声でもなく歌でもなく、
ただ文章であるだけだ。


10本の指が恐ろしいスピードで106個の升の上を踊り狂う。
頭の中で文章が浮かぶよりも早く、画面上に姿を表す自分の思考と感情。
1分で300文字は余裕だろうと冷静に考えてしまう自分が可笑しい。

あまりの流れの良さに
私は一瞬自分が小説家かコラムニストであるような錯覚を起こした。
しかし現実は否である。手の主は一介の大学生。
ことばを綴ることが欠かせない欲求であると幼い頃から理解しているだけだ。

たとえ否定されようとも、
自己満足でも表現せずにはいられない。
他人に伝えるためではなく、
自分が自分で在るために書かずにはいられないのだ。
精神安定剤を使ったことはないが、
おそらく近いものがある。

ここで、均衡を、保つこと。
いまに、平穏を、運ぶもの。
さては、前進を、魅せるもの。

生きることが自分の意味を実感することならば、
ことばを綴る今、私は確実に生きている。


「さて、もし誰かが画面を覗いたら、一体何を感じるだろう。」
ふとそんなことが気になった。
孤独な世界が誰かの目に映ったらという妄想だ。

つまらないと眉をしかめるか。
それとも、なぜ赤裸裸に語るのかと不思議がるか。
もしくは、勢いに富んだ様に恐れを感じるか。

多いに興味がある。
しかし私の思考の範疇ではない故に、
理解することは愚か、想像すら十分にできない。

ああ、なんともどかしいことか。
いやしかし、なんと魅力的なことだ。

他者の心を完全に覗くことなど到底不可能だからこそ、
不満足が好奇心に代わり、探究心に変わっていく。
私は文章を書くことも好きだが、
そのあたりも加えて興味を誘われる。


パソコンに向かい始めてから約20分。
ようやく心が落ち着き始めた。
もうそろそろ汲み出しが終わるらしい。

今日もよく書いたものだ。
リビングから夕飯を知らせる母親の声が聞こえる。
既に身体は空腹だ。
さて、そうしましたら、今日はこの辺で。

右手の薬指がEnterを押した次の瞬間、
左手の人差し指と中指が薄っぺらい金属を二つに折り畳んだ。


0 件のコメント:

コメントを投稿